今朝、とある著書を読んでいて、ふと思った。
【天才とは1%の才能と99%の努力】とは言うけれど、そもそもその1%の才能を持ってなければ100%の努力したところで実らないんだよな・・・と。
男性決定遺伝子を持たない女性がいくら努力したところで、男性にはならないし。
高身長になるための遺伝子を持たない人は、薬を飲もうが、カルシウムを摂ろうが、バスケをしようが、背高のっぽにはならないし。
目鼻立ちの整ってない人がどんな高級な化粧品を使おうが、ダイエットに励もうが、美人にはならない(整形で無理やり美人になる人はいるけども)。
ユリやひまわりが[薔薇]にはならないのと同じように、そもそもの種を持たなければ、芽吹かせることは出来ない。人の才能もしかり。
私がざっと思い返す中でも、天才と呼ばれる人は小さな頃から片鱗を見せてる。
絵が好きな人はたいてい、小さな頃からヒマさえあれば教科書の端やら紙切れに絵を書き続けてて、苦痛だとは感じることはなく、嬉々として書き続けてる。私の知人にもそういう人がいて、当時はお世辞にも上手いとは言えない絵だったが、それでも私などには想像のつかない数を書き続け、やがて人気作家と呼ばれるイラストレーターになった。
プロ演奏家や、スポーツ選手の逸話などにも、そんな話は散見する。
その多くは、他人から見ると苦痛に感じる努力が苦では無かった人。
それをするのが楽しい、成功した時の感動が忘れられない、鍛錬することが快感である・・・理由は様々だけど、そう考えられること自体が才能を持ち合わせてる証。
だって嫌いなことは、普通サボろうとするし。
好きなことは、寝る間も惜しんで、少しでも多く繰り返そうとする。
そうでない人が嫌々する努力が、そうである人の黙々と続ける努力に勝てるはずもないんだよね。
ただ、私が言いたいのは、凡人が努力をしても天才になれないってことじゃない。
誰もが天才になる種は持っているが、その種類が異なるってことだ。
SMAPの曲でも謳われてるが[ひとりひとり違う種]を持ってるってこと。
自分の持つ種を活かす努力をしないで、元々持ってない種を芽吹かせようとしても意味がないんじゃないのかなぁ?ってこと。
ま、誰もが、それが分かったとしても中々割り切れないんだけどねww
若い人と話してると「私には何の才能もない」と言う人は多い。
しかし私に言わせれば、才能が何もない人はいない。
ただ、自分で気がついてないだけだ。
もしくは世間一般的に受け入れやすい形の才能ではない、というだけ。
たとえば、とある文房具を集めるのが得意だという人がいたとして。
それをただ集めるだけに終わらせたら[変人]だけど、その文房具の種類・年代・色・数など、普通の人がやらない範囲まで拘って集めたら[収集家]となる。
たま~~にテレビで、アイドルの追っ掛けをする人が鞄に大量のバッヂを装飾したりするのを見ることがあるけど、あれも、色や柄や配置など様々な角度から拘って付けている人は、そうしたものに門外漢な私から見ても、一種の芸術作品として映る。
何が、どう他人から評価されるかは分からないけども。
皆のいう[才能がない]というのは結局、あるはずの才能を活かせず、腐らせてるってことに他ならないのだろう。
かくいう私の才能は、というと。
う~~~ん・・・なんだろう??(;`・_・´)ン-
自分ではあまり自覚が無いけれど、グループの中で長を務めるためのバランス感覚らしきものは、どうやら持っているらしい。
あと、誰かに何かを説明する、のは多少得意かもしれない。
なのでたまに「学校の先生になれば良かったのに」とは言われるけどもw
でも別に他人と比べて特別優れてもいないし、それを活かす努力はしてこなかったから、仕事や成果にはならなかった。
人生半世紀を目前にして、いまさら才能を芽吹かせようとも思わないけども。
生きているうちに何かひとつくらいは、世間をアッと言わせるような偉業を達成してみたいなぁとは思うかな。(。-`ω´-)ンー…
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