昨夜、ずっと考えてました。
私の性格、私の心、その基本的な考え方について。
私は基本的に、誰かを「嫌い」になるってことは無い。
もちろん私とて人間だから、苦手な人とか近づきたくないな~と思う人はいるし、喧嘩をすることも言い争いになることもあるけど、でも、嫌いになることは滅多にない。
昨夜ずっと思い返してみたけど、半世紀近くになる人生の中で純粋に「嫌い」と思った相手って、片手で数えるほども居ないんじゃないだろうか。(゜.゜)
何故かっていうと、誰も信じてはいない からだ。
ここで言う「信じない」というのは、相手の人柄うんぬんとかの話じゃない。
自分自身の気持ちの問題。
誰かを好きになったり、信じたりって、つまるところ自分の頭の中に思い描いた【相手像】を固定化する行為であって、その像から外れた途端に「裏切られた」とか「ヒドイ人だ」とか思うことになるわけだ。最初から自分の思い込みの相手像を信じなければ、必要以上に傷つくことがない。
そう思うから「嫌われる」ことはあっても「嫌い!」ってなる人はまずいない。
呆れるか、傷つくか、逃げるか、傍観するか。
なるべく心が重傷を負わないやり方で、痛みをやり過ごすだけだ。
まぁ・・・その感情じたいが嫌いの範疇に入るなら、そうなのかもしれないけどw
有り難いことに、私の周りには悪辣な性質を持った人とかはいないし、たとえば犯罪に巻き込まれるような災難に遭ったことはないから、そんな呑気なことを言ってられるんでしょうけどもね。
ましてや、チャットを介した相手なんて、一方的なものだよね。
すっごい可愛い女の子キャラの中身がオッサンなんてのは、普通にある話なんだし、逆もまたしかり。百歩譲ってVCで会話する相手なら、ある程度は性格や人柄が読めるから、踏み込んでもいいのかもしれないけども。
言葉を重ねなければ思いは伝わらないし、何年の付き合いがあったって、顔の見えない相手を本当に理解できてるとは言えないだろう。
一度でも懐に入ってきた相手は、だいじに思う気持ちがある。
だけど、それと、信じることは別なんだ。
いまは3次元の交流が減って、だんだんネットワークを介した付き合いが推奨される時代になってる。だからこそ、改めて、回線越しの相手との付き合い方を、考えてみる必要があるのかもしれない。