とある夕暮れ。
「・・・・・・・・・近頃、なんだか、可笑しいのですわ・・・」
ラウンジの一角でお茶を楽しんでいたウルスラは、カイエの姿を横目に眺めながら独りごちる。
彼は少し離れた窓辺に佇み、物憂げな顔で雨の街を眺めていた。
亜麻色の髪、茶褐色の瞳をした彼は、いつもどこか物憂げで。
普段は多くを語らないけれど、上手くいったと報告すれば笑い、誤った時には叱り、それとなく自分を助けてくれている。
出会った時は少年の面影を残していた彼も、いまやすっかり大人びて。
ますますその美貌が増していた。
そこまで考えて、ウルスラは、ぽっと頬を染めた。
初めて会った時は、ただの面倒見のいい青年だと思った。
しかし数日経って落ち着いて見ると、彼は柔らかな雰囲気を漂わせた美青年で。
それを意識した途端、突っ掛かっていた自分が、恥ずかしくなってしまった。
その出会いから数年。
彼の存在が、何ものにも代えがたいと感じるようになっていた。
ところがこの数週間、少しずつ彼の態度がぎこちなくなってきている。
原因は分からない。
しかしそれでも彼は、自分が困っていると、微妙な笑みを浮かべつつも救いの手を差し伸べてくれる。そんな彼に報いたいと思うのだが・・・・・・。
考え込むウルスラの視界の端で。
ふいに、青年の姿がぐらりと揺らぐのが見えた。
「・・・・・・!?」
きゃあ!と近くにいた女性たちの悲鳴があがり、店員の男性たちが慌てて駆け寄る。
ウルスラが近づいてみると、カイエは真っ青な顔で意識を失っていた。
「どうなさいましたの!カイエ!?」
「お嬢ちゃん、あんた彼の知り合いかい?」
「え、ええ、友人ですけども・・・・・・」
「彼、この頃ずっと顔色が悪いようだったんだ。どうも寝不足らしくてね」
「・・・・・・寝不足?」
「いつも、胸を抑えて苦しそうにしていたから、何か患っていたのかもしれないがね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そう言われて記憶をたどれば、カイエは何度も、片手で胸を押さえるような仕草をし、じっと自分の胸を見つめていたような気がする。
不思議に思って訊ねると、いつも「食べ過ぎた」とか「暴言に傷ついた」などと答えて笑っていたので、さして気に留めていなかったのだが・・・。
ウルスラは店員たちの手を借りて、カイエの滞在先である宿へと運び込んだ。
そしてしばし躊躇ったあと、仰向けで寝かせられた彼のシャツの合わせをそっと広げてみる。
そこにあったものを見て、ウルスラは息を飲み込んだ。
(・・・・・・・・・妖異・・・!)
カイエの胸の真ん中で、皮膚を介し薄く透けて見えていたのは。
赤とも、青ともつかぬ、奇怪な色が混ざりあった鶏卵大の球。
ひと目見て分かった。これは、妖異だ。
カイエの胸のうちに収まっているためか、妖異の気配がとても小さく、実際に目にするまでは、黒魔道士として成長したウルスラでさえ存在を察知することができなかった。
こんなものを、彼はずっと抱えたまま過ごしていたのだろうか?
枕元で呆然としていると、カイエが薄っすらと目を開けた。
そしてウルスラの姿を見てハッと目を見開き、やがて、諦めたような溜息を吐き出した。
「ああ・・・・・・気づかれちゃったか・・・」
「いつからですの?」
「え?」
「この妖異は、いつからカイエの胸に巣食っていたんですの!?」
「・・・・・・・・・・・・ずっと、小さな頃からだよ」
ふ~~~~~と長い息を吐き出し、天井を見つめたカイエは、静かな声で続けた。
「俺が、天涯孤独の身の上だってのは、話しただろう? 子供の頃、殺されたんだ、妖異に」
「・・・・・・!」
「その時、俺も死にかけたんだけど、胸に傷を負っただけで辛うじて助かった。だけどその傷の中に、妖異の一部が残ってしまっていたんだ」
「取り除かなかったんですの!?」
「気づいた時にはもう、心臓にガッチリ食い込んじまってたみたいでね」
「・・・・・・そんな・・・」
「どんな名医でも、魔術師でも、心臓を盾に取られてたんじゃ手出しできない。いつか妖異が俺の胸を突き破って出てくるか、それとも俺の鼓動が止まるのが先か。どちらにせよ、もうまもなく決着が付くだろうと踏んでたんだけど・・・」
もし外に出てくるのが先でも、黒魔道士の君なら、討伐できるだろうし。
最後にそう小さく呟いて、俯いた彼は、昏く笑う。
ウルスラはぎこちなく首を振り、思わず両手で顔を覆った。
だから、ぎこちなかったのだろうか?
自らの死を悟っていたから? それとも・・・・・・。
「・・・・・・嫌ですわよ」
「え?」
「嫌ですわよ! 貴方が、妖異に殺されるのを、黙って見ていることなどできませんわ!!」
「そりゃ・・・まぁ・・・・・・・・・俺も、死にたいわけじゃないけど・・・」
駄々っ子を見るような淡い微笑みで、宥めるように呟くカイエ。
それにキッ!と睨み返したウルスラは、突如、踵を返して宿の外へと駆け出した。
「待っておいでなさい。絶対に見つけて見せますわ! カイエを救う方法を!!」
それからウルスラは昼夜を問わず、方々を駆け巡った。
様々な書庫を漁り、呪術ギルドや召喚ギルドといった妖異に関わる見識者の元を訪ね、妖異を取り除く方法を探し回った。しかし、いずれの方法も、場所が心臓であるがゆえに危険性が高く、実行に踏み切ることができない。
その間にも、カイエの状態は次第に深刻なものとなっていた。
ウルスラに存在を気づかれたことを知った夢魔が、彼女を阻止しようと暴れ始めたのだ。
彼女が宿を訪れるたび、カイエを苦しませ、その行動を躊躇わせようとする。
しかし、ウルスラは諦めなかった。
苦しむカイエを抱え、泣きながらも、方法を訪ね歩き続けた。
そして。
2週間以上の日々を掛けて、ようやく辿り着いたのが、妖異を高濃度の光のエーテルで包み込む、という方法だった。
グリダニアの角尊たちの協力を仰いだウルスラは、彼らの助言に従って光属性のクリスタルを探し出し、それを首飾りへと加工することを思いついた。
そして、運命の日が訪れた。
それはウルスラが妖異を取り除く方法を探しはじめて17日目の夕刻の事。
繰り返し心臓を痛めつけられていたカイエは、衰弱のあまり寝台から起き上がることすら難しくなり、昼夜を問わず再現される悪夢に苦しめられ続けていた。
反比例するように急速に成長した夢魔は、ついに拳大にまで膨れ上がり、ちょうど鳥の雛が卵の内側から突付くように、殻を破って飛び出そうとする。
(・・・・・・・・・・・・もう・・・・・・この身体に、用は、ない・・・・・・)
「・・・・・・・・・・・・!」
一瞬の、ガンと脳裏に響く声のあと、これまでで最大の強い圧迫を胸に感じ、カイエは声を出すこともできず、寝台の上で身藻掻いた。
ドクン、ドクン、ドクン・・・と、耳のそばで煩(うるさ)く時を刻む鼓動。
干上がっていく喉。背を伝う脂汗。
爪が割れるほど強く寝台を握りしめても、苦しみから逃れることができない。
胸の内側で夢魔は、何度も殻を破ろうと膨張を繰り返す。
そのたびにカイエは、焼けた鉄槌で殴られるような重い痛みに喘ぐこととなった。
それからどれほどの時間が流れたのだろう?
苦痛に耐えかねたカイエが意識を手放し、彼が無意識のうちに形成していたエーテルの殻が、急速に効力を失い・・・・・・。
突如、バタン!!と高い音を立てて扉が開いた。
いつもなら美しく整えているはずの法衣も髪も振り乱し、険しい表情を浮かべて駆け込んできたウルスラは、寝台の端にうずくまったカイエを目にして、ハッと鋭く息を飲んだ。
すぐに表情を改めた彼女は、無言のまま寝台へと歩み寄った。
「・・・・・・もう、おいたは終わりですわよ」
誰にともなく呟いたウルスラは、そっとカイエの身体を仰向けた。
彼の胸の真ん中で、皮膚を押し上げ、膨張を繰り返す夢魔の殻。
意識の無いカイエの顔を見下ろしたウルスラは、懐から取り出した首飾りを彼の首に掛けると、労るようにそっと、青ざめた唇に口づけた。
次の瞬間。
ギャアアアアアア!!と、低くおぞましい悲鳴が鳴り響いた。
首飾りを握ったウルスラの手の内から、目を焼くような白い光が広がった。
今まさに、皮膚を破って飛び出しかけていた妖異を包み込んだ光は、またたく間に圧縮し、親指の爪ほどの純白の玉を形成して・・・・・・消えた。
血を流す胸の傷に応急処置を施しながら、ウルスラはホッと息をついた。
あとは、このまま光のエーテルで夢魔の闇を緩やかに相殺すれば、心臓を傷つけることなく夢魔を消滅させられる。その状態を維持し続けるには魔法に通じた者の協力が必要となるが、黒魔法を修めたウルスラがそばにいれば、問題なく維持できるはずだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・う・・・・・・」
それから2時間ほどの後、ようやくカイエが意識を取り戻した。
やつれた表情で見上げる彼に、ウルスラは事の次第を話して聞かせた。
沈黙したまま、じっと話を聞いていたカイエは、彼女が用意してくれた首飾りを手に取ると、ふっと笑ってウルスラを見つめる。
「それは文字通り、俺の心臓が、お嬢さんの手に握られたってことだな」
「え? あの・・・・・・それは、どういう」
「いいぜ」
ふらつきつつも寝台の傍らに降り立ったカイエは、唖然とするウルスラの前に膝をつく。
彼女の手を取った彼は、初めてみる晴れ晴れとした笑顔で微笑んだ。
「俺の命を救ってくれた君。・・・・・・ずっとそばに、居てくれますか?」
「え・・・・・・あ・・・え・・・・・・・・・??」
真っ赤になって狼狽えるウルスラに、さらに畳み掛けるようにカイエが言う。
「鈍いな、お嬢さん。結婚してくれるか?って聞いてるんだよ」
ボンッ!と顔を紅潮させたウルスラは、ふら~~~っと倒れかかった。
「おっと」と力強い腕に支えられ、胸に顔をうずめたウルスラは、視線の先で光る首飾りを見つめ、やがて小さな声で呟いた。
「も、ちろん・・・・・・ですわ」
「・・・・・・そっか」
ふふっと笑ったカイエは身をかがめ。
赤い顔で見上げるウルスラに、そっと口づけた。
それから数カ月後。
両親の残した屋敷を売り払い、身軽になったウルスラは、カイエが新たに用意した小さな家へ転がり込み、慎ましくも幸せな、新たな生活をスタートさせた。
カイエはその後、悪夢を見なくなった。
<終わり>

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