コロナ禍にあって、人が亡くなるということ。

雑多な日記

昨日の夕方に、父方の祖母が老衰で亡くなった。

5年ほど前に祖父が亡くなった頃にはもう、痴呆が進み、身内のことすら忘れかけているような様子だったが、それでも90を超える歳まで生きた、大往生だった。

私が幼い頃は、警察官だった父の転勤が多くて落ち着かない生活をしていて、やむを得ず祖父母の家に世話になる機会も多かった。だから私にとっても沢山の思い出があり、結婚してからは居住地的に疎遠になったものの、心のどこかには忘れられず居た人だった。

 

そんな祖母の葬儀。
通夜、葬儀とも、父と二人の叔母たち三人だけで行うことになったそうだ。

何しろ親戚はみな高齢で、父の実家周辺の人も、踊りをやっていた祖母のお弟子さんたちもみんな70近い高齢者。他にも様々な事情があり、感染対策を考えると他の参列は遠慮してもらおうという判断になったらしい。

だけど・・・。

祖父の時はいとこたちを含め、百人近い親戚や知人が集まっていた。
なのに祖母を見送る人はたったの三人。
私たちは火葬前の顔を見ることも、葬儀場に駆け付けることもできない。
幸い親族は誰も感染はしてないし、仕事などで苦労する人も居なかったんだけど、まさかこんな形でコロナ禍の影響を受けるとは思わなかった。

 

・・・などと、冷静に考える頭がある一方で。

胸をふさぐこの気持ち。

 

やっぱり悲しい。

祖母が亡くなったという事実。
最後の顔を見ることができないという事実。
なんで亡くなる前に会いに行かなかったんだろうという思い。

やはり人は亡くしてから気づくんだ。

 

 

祖母ちゃん、どうか安らかに。

[しゅげろぐ。]内で記載されている会社名・製品名・システム名などは、各社の商標、または登録商標です。
雑多な日記
ルナフィナをフォローする
しゅげろぐ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました