キャリッジを使えば時間が掛かりすぎてしまう。
やむなく少年を自分のチョコボに同乗させ、ジャックスたちは東ラノシアへと急行した。
到着したのは夜明け前だった。
先に来ていたメンバーと合流し、救出したあとの人々を運ぶための段取りを打ち合わせたあと、急いで問題の御曹司の館へと向かう。
館の様子を伺ったジャックスは、名状しがたい異様な気配を感じて眉をひそめた。
「・・・・・・何でしょう、この嫌な感じ」
「瘴気ですね。あの館から」
「ええ、私の目にも黒い瘴気が、館を覆い隠すように立ち込めてるのが見えます」
同行していた癒し手たちが、堪え難い異様な気配に顔を顰めながら、異口同音に言う。
身を屈めていたジャックスの腕の中で、黒髪の少年――名はカイというらしい――が、濃密な瘴気に当てられたのか、小刻みに身体を震わせ始めていた。
「カイ?貴方はやはり先ほどの駐留所で待っていたほうが」
「だ、大丈夫!」
強情に言い張る少年に戸惑いながらも、ジャックスは館への侵入手段と捕らわれた人々の救出方法を考え始めていた。
問題の御曹司の屋敷には、男の背丈の倍近くもある高い塀と頑強な鉄格子の門が守りを固めており、流石に先日の廃墟ようにこっそり忍び込むというのは難しい。
となれば門から入るしかないのだが、見たところ周辺には守衛らしき人影もなく、どうやって門を開けさせればいいのか見当もつかない。
「イエロージャケットから、何か聞いてませんか?」
保護した人物の話を聞いていたという女性に、小声でたずねてみる。
すると彼女は彼方を見やって少し考えてから、ヒソヒソと答えた。
「この屋敷、もともと人の出入りは少ないらしいのよ。唯一あるのは数日に一度ほど食料や日用品を届けにくる商人と、人相の悪い厳つい男くらいだって」
「人相の悪い男?」
「10日ほど前にも、3~4人の若い女性たちを連れて出入りしているのを見たというから、おそらくそれが、この子のお姉さんたちを連れた商人だったんじゃないかしら」
「なるほど。しかしどうやって中に・・・」
うーんと考え込むジャックスの腕の中で顔を上げたカイが、門を指差して言った。
「あそこ。あの門の横の穴の空いたとこ。あそこに木槌があって、それを叩いて合図してた」
「え!?」
少年の指差す方を見ると、確かに門の左手に丸くくり抜かれた穴と台のような物があり、そこに木版と木槌らしきものが置かれているのが見える。
おそらくカイはこれまでに屋敷を訪れたことがあり、中に入る機会を伺っていたのだろう。
だがいくら無鉄砲な少年でも、単独で挑むには無謀すぎると諦めざるを得なかったのに違いない。
「となると、あとは中に入る理由ですか・・・」
「いまの話の流れからすると、可能性がありそうなのは、奴隷商人にでも化けて取り引きを持ちかけることくらいか?」
口元に手を当てて呟いたオリヴェルに頷いて、ジャックスは癒し手の女性に話し掛けた。
「この中で攫われた女性・・・に扮して似合いそうなのが貴女くらいなんですが、引き受けていただけますか?もちろん商人役は私で、貴女のことは全力でお護りしますから」
茶色の髪をしたミコッテ女性である彼女は、一瞬キョトンと目を見開いてから、ブルブルと慌てて首を横に振って答えた。
「いやいやいやいやいや!む・・・無理ですよ!
いくら体格は合ってても、攫われたか弱い女性のフリなんて無理ですもん!
せ、せめて絶世の美女とかだったらまだしも、あたしは顔も大したことないし、胸も小さいし、お貴族様に気に入られるような魅力なんてどこにも・・・!」
彼女が全力で拒否したがる気持ちは理解できるので攻められない。
とはいえ、他の同行者はみな男性で、双剣士ギルドに所属する彼女も頑強なルガディン族の女性で、攫われた女性を演じるには少々難がある。
「絶世の美女・・・・・・ですか・・・」
ジャックスが、ふとオリヴェルの横顔を見つめた。
視線を感じて振り返ったオリヴェルと目が合う。
体格の点で華奢と呼ぶには難があるものの、絶世の美女に扮することができる容姿を持つ者なら1人だけいる。
「・・・・・・オリヴェル」
「寝言は寝て言え」
「まだ何も言ってませんよ」
「何を言おうとしてるか分かるっつ~の!!」
「貴方でしたらいざとなれば武器を取って反撃できますし、美女に扮することが出来そうな心当たりが他にいないのです」
「俺だって見た目にかなり無理があるだろうが!」
「でも貴方は、貴族女性としての振る舞いをよくご存知だ」
真顔で告げたジャックスを、ムッと顔を顰めてオリヴェルが睨み返す。
「・・・・・・あんたがそれを言うのかよ」
「貴方の心を傷付ける発言をしているのは百も承知です。だが、もはや時間がない。手段を選んでいられない以上、多少無理でもやってのけるしかありません。お願いします」
オリヴェルはなおも怒った顔でジャックスを睨み続けていた。
が、やがてふっと表情を緩め、大きく溜息をついてから「分かった」と小さく呟いた。
一旦近くの街へと引き返し、オリヴェルが美女に扮するための衣装の手配と、ジャックスが商人に化けるための衣服やキャリッジを手配する。
そのあいだに夜があけていき、商人が屋敷を出入りしても不思議ではない時刻が訪れた。
簡素な衣服に身を包んだジャックスは、目立たぬように忍ばせた双剣の手応えを確かめながら、キャリッジの荷台に座るオリヴェルの姿をつくづくと眺めていた。
それにしても・・・・・・とジャックスは胸中で呟く。
艶消しの薄紫色のドレスを身に纏い、髪を結い、捕らわれ人らしく手枷を嵌めた姿でいるオリヴェルは、元の彼を知る自分が見てもまさに美女と呼ぶしかない色香を放っていた。
顔は薄化粧で、体形も変わっているわけではない。ただ身にまとう雰囲気がまったく異なる。
普段纏っている覇気のある男らしいムードは消え去り、まるで人格が入れ違ってでもいるかのように、儚げでなおかつ高潔な血筋を伺わせる風情だった。血気に逸る男ならば誰しもが一度は手折ってみたいと望む高貴な華のような・・・。人は気配を替えるだけでこうも別人になり切れるものなのか。
「御曹司とやらが、この手合いの女を好むかどうかは知らねぇけどな」
無意識に見つめ続けていたジャックスの視線に抗うように、ふいっと気配を戻してオリヴェルが呟く。
この男は毎度なぜこうも、こちらの心中を見透すような反応をするのだろう?
「ですが、興味を抱くことは間違いないでしょうね」
「・・・・・・・・・」
「ともかく門の内側に侵入できるところまで保てばいいのです。門の鍵を手に入れたら、門番らへの対処は双剣士ギルドのメンバーに任せましょう。私たちは一刻も早く、くだんの御曹司と捕らわれた人たちの居場所を突き止めねば」
「ああ」
やがてキャリッジは貴族の館の前に到着した。
御者をつとめていたメンバーに目配せして、ジャックスは慎重に門扉へと歩み寄る。
近づいてみると、よりいっそう禍々しく濃密な瘴気が立ち込めているのが分かった。これでは捕らわれた人々のみならず、屋敷に住まう家人たちも変調をきたしている可能性がある。
門の横に据えられた木槌を取り上げ、カイに教えられた通り合図を送ってみる。
数分は何の気配も現れなかった。もしや音沙汰なしかと再び木槌を持ち上げたところでようやく、門から十数ヤルムほど離れた奥に見える館の扉が開いた。
館から出てきたのは家令と思しき身なりをした40歳くらいの痩せた男だった。
片手に灯りを持ち、のろのろと歩くその姿には、まったく生気が感じられない。顔もまるで仮面をつけているかのような無表情だった。
男は門扉まで辿り着くと、ガサガサとひび割れた不明瞭な声で言った。
「ナニか・・・・・・ごヨウ、デスカ」
「こちらに出入りする商人より噂を聞きつけて参りました。お屋形様におかれましては、高貴なる女性にご興味はお有りではないでしょうか?」
「・・・・・・・・・」
男はのそりとキャリッジの荷台へと目を向けた。
荷台に横たわるオリヴェルの姿を確認した男の目が、微かに暗い翳りを帯びる。
凍りついたように荷台を見ていた男はやがてジャックスの顔へと視線を戻し、瞬きすらない異様な表情のまま、踵を返して屋敷の中へと消えていく。
もしや失敗だったかと焦る気持ちを抑えつつ待ち続けていると、5分ほどして再び男が現れた。
「だんなサマガ・・・・・・オあいニナ・・・ルト。オとおしスル・・・・・・ヨウ」
「ありがとうございます」
のろのろと覚束ない足取りで真横に歩を進めた家令が、門扉を取り付けた壁との境目辺りを探る仕草を見せた。
どうやらそこに開閉のための装置が隠されていたらしい。
重い鉄格子の門扉がゆっくりと左右へと別れていき、やがてキャリッジ一台分が通れるほどの入り口が開けた。
家令は無言のまま身振りだけで、中へ入るようにと促した。
ジャックスは頷いて、御者をつとめる男に合図をし、自分は荷台の横に沿うようにしてゆっくりと門の中へと歩みを進めた。
家令が再び装置を動かし門扉が閉じていく・・・・・・寸前、複数の気配が荷台の陰に紛れるようにして門の内側へ滑り込んだ。もちろん隠形した双剣士ギルドの者たちだ。
家令はそれには気づかぬまま、ジャックスたちを館の中へと促す。
怯える(ふりをした)オリヴェルを荷台から下ろし、引きずるようにして館へ入っていくと、そのあまりの異様さにジャックスは思わず息を飲んだ。
黒一色に塗りつぶされた壁。
窓もすべて内側から土塊で埋め潰されており、ところどころに下げられた蜜蝋の灯のみが唯一の光源となっている。
暗さはそれだけではない。もはや通常人の目にさえ見えるほどの瘴気が視界を漂っているのだ。
そんな中でも目に飛び込んできたのが、通路左右に開いた扉の向こうに並ぶ猛獣と思わしき剥製の数々。奇妙なのは狼の体に鳥の頭が付いていたり、猿人の両腕に猛禽の翼が付いていたりと通常ではありえない姿をしていたことだ。
(・・・・・・キメラ・・・か)
おそらくあれは実験として用いられた獣たちの成れの果て。
実験体としては不十分なそれらに飽き足らず、人間を実験台に使おうと考えたのだとしたら。
先を歩く家令はのろのろと、しかし迷いのない足取りで通路を進む。これだけ大きな屋敷にも関わらず、途中誰とも遭遇する気配すらない。やはりこの屋敷の家人はすでに瘴気の影響を受けてしまっているのだろうか。だとすればどこに。
ジャックスの心の声に応えるように、背後で隠形したまま付き従っていた双剣士の何人かが、ひとり、またひとりと屋敷内を捜索するために散っていく。
幾度かの角を曲がり、おそらく玄関とは真逆の位置にある幅広の階段を上る。どうやら中央に立ち並ぶ部屋を通路がグルリと取り囲むような構造になっていたらしい。
たどり着いたのは、その真上に位置すると思われる大広間だった。
「だん・・・なサマ、つレテまいリマシタ」
入口で深く頭を垂れそう報告した家令は、2人を中へ通すと、そのまま何事も無かったようにいずこかへ立ち去っていく。
家令から広間へと目を戻して・・・・・・ジャックスは再び息を飲んだ。
薄暗い部屋の奥、灰色のガウンを着た40代くらいの大柄な男が、紫の大きな石が嵌められた杖を手に立っていた。
その足元には赤い塗料で描かれた魔方陣。
左右に横たわる召し使いと思わしき身なりの人々。むせ返るような血の匂い。
その魔方陣の中央で蠢く何かの影。
「ちょうどよかった」
茶褐色の髪と髭に埋もれた青ざめた唇から野太く低い声が響いた。
「あと少し、依代に注ぎ込む魂が足りなかったのだ」
のっそりとあげた男の顔は、面差しだけなら整った作りだったといえよう。
だが、落ち窪んだ眼と、潰れた鼻、左右に大きく歪んだ頬骨、その造形はもはや人の範疇には収まらない有様だった。
一瞬、テンパード(狂信者)という単語が脳裏を過ぎったが、これは違うだろう。
この男が傾倒したのは神ではなく、生き物同士を融合させ未知の存在を作り出そうという遠い昔に滅び去ったキメラ合成技術。
おそらく碌な知識も無いまま繰り返し行った儀式や実験が、偶然にも魔術に通じるような事象を引き起こし・・・妖異と思われる存在に取り憑かれてしまった。
「依代ですって?あなたはそうして何人もの人々を儀式と称して殺めてきたのですか」
もう商人を装う必要もない。
抑えきれない怒りを滲ませながらジャックスが低く問うと、男は心外だと言わんばかりの大げさな身振りで両手を広げつつ言った。
「殺したわけではない。崇高なる存在を呼び降ろすための礎となったのだ」
テーブルに置かれていた燭台を取り上げ、足元に蠢く何かを見せびらかすように照らし出す。
「ほら・・・・・・あと少し、あと少しで依代に相応しい新たな生命が誕生する・・・!」
「・・・うっ!」
思わず一歩後ずさった。
むせ返るような血の臭いと闇に紛れて蠢いていたもの。
それは四つ足の獣の体に3つの女性の胴体が融合した異形のモノだった。とても正視に耐えない異形であるが、驚くことに3人の女性たちにはまだ息がある。
ぼんやりと虚空を見つめる瞳から、とめどなく涙を流す3人の女性。そのひとりの面差しが、あの黒髪の少年とどこか似て・・・。
「ここまでの実験は成功なのだ!あとはこの身体に大量の魂を注ぎ込めばいい」
陶酔したように叫ぶ男の声。
間近で聞こえたそれに驚いて見ると、いつのまにか男が眼前へと迫っていた。
人の動きではなかった。やはりこの男はすでに何かに取り憑かれてしまっている。
そうと認識した瞬間には、右後ろにいたオリヴェルの身体を片手で引き寄せ、大きく後ろへと飛び退っていた。その反応を面白がるようにゆらゆらと体を揺らしながら男が近づいてくる。
「貧弱な下僕共の魂では足りなかった。やはり生きのいい男の魂でなくてはな」
男の目はジャックスだけでなくオリヴェルへも注がれている。
つまり彼らは捕らわれの女性とその商人としてではなく、生命力を秘めた実験体として迎え入れられたらしい。
淑女らしさをかなぐり捨てたオリヴェルが、俯いたまま低く呟く。
「これはもう、手遅れだった・・・・・・ってことで、いいんだよな?」
「ええ・・・残念ながら」
俯いたまま大きく右へ振ったオリヴェルの手に、彼の愛用する弓が現れる。
次の瞬間にはジャックスも双剣を手に身構えていた。それを合図に隠形していた双剣士たちも次々と姿を現す。突然現れた複数の刺客たちを見ても男は驚かなかった。
「素晴らしい・・・なんと力強い魂だ。これだけの数の魂を喰らえば・・・・・・ワタシも・・・」
浮かれたように呟きながら迫る男がおもむろに手を伸ばす。
反射的に身を引いたジャックスの右腕を不可視の速度で伸びた男の手が掴んだ。
「痛っ・・・!」
鋭い爪が突き刺さっていた。伸ばされた男の腕も異常な長さに伸びている。
「ジャックス!」
鋭く叫んだオリヴェルが腕を伸ばす男の肩口を狙って射た。
深々と肩を貫いた矢に一瞬よろめいたが、男は動じることなくジャックスの腕を掴んだまま歩き出そうとする。やむを得ないと、左手の短剣で男の腕を斬り落とそうとしたジャックスだったが、さらにその左手を異質な何かが掴み取った。
もちろん他のメンバーも手をこまねいて見ていた訳ではなかった。
男の動きを止めるべく動き出そうとした各々の身体を、いつの間にか迫っていた何かが押し留めていたのだ。
濃密さを増した瘴気が、男の意思に応えるように実態を持って動き出していた。
ずるずるとジャックスを引きずる男が目指していたのは、床に描かれた血の色の魔方陣。
その魔方陣の淵に脚が触れた途端、異様な衝撃が全身を駆け抜けた。
「ぐっ、あああああああ・・・・・・!!」
まるで全身の皮膚に微細な棘が突き刺さったような名状しがたい苦痛だった。
この魔法陣が男の言う[魂]を吸い上げるためのものなのだろう。
たちまち身体から力が抜けていく。
男が爪を突き立てている右腕の痛みが辛うじてジャックスの意識を繋ぎとめていた。
そして、こんな男のいいなりに異形を生み出してなるものか、という激烈な怒り。
それが取り憑かれた男の異常な力の源に気付かせた。
「オリヴェル!・・・・・・先端の石を撃て!!」
ジャックスが放った絶叫が結果として跳ね返ったのは数瞬後のことだった。
白い軌跡を纏って飛来した矢が、男の手にしていた杖に嵌められた紫色の輝石を穿った。
とたんに分厚い殻が剥がれるように全身の硬直が解けた。
次の瞬間には動き出していた。
矢の勢いに吹き飛ばされた男の全身を、縦横無尽に走る双剣が切り刻む。
ギャアア・・・・・・と耳を覆いたくなるような悲鳴が轟いた。
追い討ちをかけるように無数の光の矢が魔方陣目掛けて降り注ぎ、周囲の瘴気をも巻き込んで消滅させていく。
「・・・・・・ノレ・・・オノレェエ・・・・・・!」
手足も顔も醜く変貌し、全身から血飛沫をあげる男の身体を、そこに取り憑く何者かの意思が無理矢理動かしていた。ずるずると這い進む先にあるのは、あの異形。
(アレを喰らうつもりか!?)
慌てて駆け寄ろうとしたが他の双剣士たちのほうが早かった。
異形を庇うように立った双剣士たちが、もはや動く屍と化した男の身体を細かな肉片へと細分する。
そこまでしてようやく取り憑いていた何者かの気配が消え去った。
後に残るのは十数人分の干涸びた遺体と、なおも小さく蠢く異形。
「これは・・・・・・もう・・・」
灯りをつけて視界を確保した彼らは、改めて異形の形状を見て陰鬱な面持ちとなった。
恐らくは草食の大型獣の胴体に、背中合わせに円柱を描く3人の女性の下半身が埋もれている。しかし獣の胴体の所々から収まりきらない彼女らの身体の一部が突き出していて、不完全な融合と言わざるをえない。
こうなってしまっては元の身体に戻すことは不可能だった。
せめて少しでも苦痛なく、永遠の眠りに誘うほかないのだろう・・・・・・。
そう覚悟を決めたジャックスが一瞬で終わらせるための方法を模索していた時。
タタッ・・・・・・と軽い足音が駆け寄った。
「カイ!?」
すべては一瞬の出来事だった。
驚く大人たちの間を風のように駆け抜けた少年が目指したもの。
それは自分に面差しのよく似た黒髪の少女。
少年がいつの間にか手にしていた小さなナイフが、少女の胸を貫いた。
表情を消したまま少年は、片手に振りかぶったナイフで次々に女性たちの胸を刺し、最後に胴体となっている獣の身体に突き立てて止まった。
シン・・・と、そら恐ろしいほどの静寂が広がった。しばらくは誰も動くことができなかった。
やがてドサリと布袋が落ちるような音と共に、少年の身体が崩れ落ちる。
慌てて駆け寄ったジャックスが抱き起すと、カイは見開いた目を虚空に向けたまま放心していた。
たまらずジャックスはカイの身体を搔き抱いた。
「・・・・・・カイ・・・!」
とめどない涙が溢れた。
もちろんこれは少年が望んだ結末ではないだろう。
しかし最後の瞬間に、誰よりも早く覚悟を決めたのが少年だったというだけ。不甲斐ない大人たちが彼にこの凶刃を取らせてしまったのだ。
「・・・・・・・・・業、だな・・・」
堪えきれず咽び泣く一堂の中でただ一人、静かな面持ちでカイを見つめていたオリヴェルが呟いた。
歩み寄った彼の指が、虚空を見つめたまま息絶えた女性たちの目をそっと閉じていく。
「全力で抗っても掬えない命がある。一瞬で、救える命もある」
そしてオリヴェルは複数の弦が張られた優美な姿の弓を取り出した。
矢を番える代わりに弦をなぞった指先が、静かに、憂愁の調べを奏で始める。
少年は心から憂いた 美しい少女の無垢な心を
少女は心から願った 少年の永久の幸福を
無情な業(カルマ)の刃は 二つの魂を引き裂けども
母なる星は慈悲の腕に その魂を抱くだろう
弦の音色が夕間の静寂に消えるまで、彼らはジッと佇んでいた。
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